MADA1グランプリを終えて
昨日の熱量の源泉はどこになったのか。
思考が止まることはありませんが、もしかしたら「場の文脈」みたいなとこなのかもなー。まで来ました。
まだない。ではなく、なさそう。
だから、あってもいいんですよね。主観として「ないんじゃない?」と思って表現すれば良いだけ。
そういう意味では、「まだなさそう」なものを作ろうなんて思ってる人はいないかもしれなくて、ただただ熱量を注げることに熱中しているだけ。そういう意味では客観性がないと、「意味わかんない」と言われて動揺しちゃう。たぶん意味わからないって言う側にも悪意はないけども、割と意味わからないって言われると悪意がなくても悲しかったりする。
だから、わからなければわからないほど良いよね。というか、わからないほどステキだよね。っていう雰囲気を作ることができたから、発表者さんたちは活き活きと話ができる。
それの意味はなんですか?っていう質問をタブーにさせるというか。
その雰囲気=空気感はもしかすると急造はできなくて、madanasasoもしくはon-coに関わってくれている/遊んでくれている方々のリテラシーが高めでできたものだとすると、企画が。参加者が。という当日作られたものではなく、今までの文脈を含めた表現だったように思う。
そして昨日のイベント自体もmadanasasoの文脈の1ページになって、さらに新しい何かの材料になる。ということは今までの文脈の繋ぎ合わせが熱量を生むのか。普段って大事。
そして今日もまたレンタルスペースによって飲食店が出店してくれているのと、フクロウとフトアゴヒゲトカゲ4匹くらいがいます。(別スペースにて)これもまたページに積み上がっていくんだろうなーと思うと、空間を共有するというのはこういうことなのか。
そんなことを思いましたとさ。(水谷)